音楽との接し方はその時のライフスタイルによって変わりますよね。
前回の記事では、中学・高校で吹奏楽を経験した私が高校卒業後の進路を模索し、デザインと音楽との関係を深めた話をご紹介しました。
音楽関係のグラフィックデザイナーをぼんやりと夢見て、デザインの勉強をしながら運送会社の事務のバイトをしていた私でしたが、そのバイトを辞めて、実家の家業である工務店で働く事になり、以後10年間建築事務やCADオペレーティング、お客様への内装アドバイス等の仕事をしました。
仕事を初めて8年ほど経った頃、中学時代からの吹奏楽仲間からの誘いでアマチュアバンドを結成する事になりました。
現在結成10年以上にもなると、バンド活動を通して色々な経験をする中で得たものがあります。
今回は、アマチュアバンド活動で得たものや、子育て中も音楽を楽しんだ話をまとめてみました。
アマチュアバンドを始めたきっかけ
実家の工務店へ就職してから8年程経った2002年頃、中学・高校と一緒に吹奏楽をやった仲間の一人で、病院勤務の友人から連絡がありました。
内容は、病院の入院患者さんやそのご家族、関係者に楽しんでもらう目的で毎年開催している七夕イベントの出し物の担当が回ってきたから、ステージで楽器の演奏をしたいのだけど協力してくれないか、という話でした。
当時私は楽器を吹く事から遠ざかっていたので気が引けて、ステージで楽器を吹く自信がない、と一旦は断りましたが、高校時代の仲間も数人誘っているし、やろうよ、と言われ心が動き、高校の吹奏楽部の仲間9人でアマチュアバンドを結成しました。
このバンドには、かつて一緒に自衛隊を受験したMちゃんもメンバー入りしました。
自衛隊を受験したエピソードはこちらからご覧いただけます。→自衛隊音楽隊を30年前に受験した話|入るのに必要な心構えとは?
久しぶりに顔を合わせた仲間たちと本番に向けて練習をするという行動を通して学生時代のあの感覚はすぐに蘇り、みんなで曲を仕上げていく過程はそれはそれは楽しく、ワクワクした気持ちを久しぶりに味わいました。
楽器を演奏する喜びを思い出させてくれた友人には、一度断ったけどやっぱり参加して良かった、ありがとう、と感謝を伝えました。
病院の七夕イベントというきっかけがあり、練習し曲を仕上げて、自分たちの楽しさが伝わる演奏が出来たことで観客のみなさんからも好評をいただき、イベント当日は新聞の取材が入ってバンドの初舞台が新聞記事となったこの流れは、私の心にしっかりと刻まれました。
友人からの誘いで参加を決めたバンドでしたが、演奏魂に火が付いた私は、同じテンションのメンバーと共にその後も活動を続けることになります。
アマチュアバンドはどこで活動したのか
病院の七夕イベントでの演奏経験によってふたたび学生時代のワクワクを共有した私達は、それぞれの生活や仕事をしていく中で、次の演奏機会を探していました。
翌年結婚する事になった私は、披露宴の余興で演奏をしてもらう事を提案し、メンバーも承諾してくれて、次のステージが決まり、バンド名も決め、またワクワクが戻ってきました。
みんなで英和辞典を片手に案を出し合い、仲間という意味を含む「company」を含んだバンド名は、バンドをやっているんだという意識や、メンバーを思う気持ちを強くしてくれたように感じました。
その後もメンバーそれぞれが活動の場を探し、地元の夏祭りなどのイベント出演や、友人の結婚式の余興、メンバーの子供が通っていた幼稚園への出張講座、地域のバンドが出演する音楽フェスなど、縁のあった色々な場所で、充実した活動を重ねていきました。
練習はどうしていたかというと、結成当初は月に一回ベースで出身中学の会議室を借りていたのですが、メンバーが増えた事と、ひとつひとつの舞台での演奏経験が確実に個人のスキルアップに繋がって、全体の音量も大きくなってきた事や、防音設備の無い練習場所では物足りなさを感じ始めた事もあり、音楽スタジオを借りて集まるようになっていったんです。
アマチュアバンドではどんな曲を演奏したか
アマチュアバンドで演奏してきた曲は、自分たちのホーンズを活かしつつ盛り上がる曲を選び、メンバーの中で人気の高いスカバンド「東京スカパラダイスオーケストラ」の曲をメインに、イベントの内容によっては「川の流れのように」や「上を向いて歩こう」「花は咲く」など、誰もが知っている歌謡曲なども混ぜて演奏しました。
当時メンバーの年齢は20代後半〜30代前半で結婚の時期が重なり、メンバーの結婚式があると余興演奏に出向いては、当人も演奏に加わって楽しみました。
時にはメンバーのきょうだいの結婚披露宴での演奏を頼まれたりと、余興での演奏を数多く経験していきましたね。
披露宴では世代が入り交じるので、新郎新婦が好きな曲に加え、誰もが一度は聞いたことのある「愛の讃歌」や「ルパン三世」などを演奏すると好評でしたよ。
アマチュアバンド活動で得たもの
メンバーの平均年齢も40歳を超えた頃、バンドの活動ペースはゆっくりとしてきました。
月一回ペースだったスタジオ練習は、仕事や体調の関係で都合のつかないメンバーも増えてきて、人数が集まらずキャンセルする月も出てくる中、メンバー間にバンド活動に対する気持ちの温度差が出てきました。
練習で集まる機会が減り、グループLINEでのふざけ合う時間が減り…
メンバーが10人を超えるバンドとして、10年以上も活動してきて、学生時代からの仲間には何でも話し合えて、メンバーの子供たちも交えて楽しかった日々が当たり前の事ではなくなった今、あの時間、あの空間を思い出してみると、なんと貴重でかけがえのない期間だったか、と思いを馳せます。
アマチュアバンド活動で得たものは、バンド活動をしていた期間そのものです。
これから再び集まるかは分かりませんが、今はメンバーそれぞれが自分の時間を大切に、それぞれを生きている中でまた音楽を一緒にやりたいと思った瞬間のタイミングが合うまで、自分を見つめる期間となっているように感じています。
子育て中でも音楽を楽しんだ
私の子育て中は、アマチュアバンドで活動していた期間があったことによって、楽しかった思い出がたくさんあります。
長男を妊娠中にスカパラのライブに行った事もあり、スカパラが胎教だった長男。
次男が生まれてからはスタジオ練習に二人を連れて行って、次男が眠くなると椅子に座りながら背中に背負って楽器を吹いたりして、バンドの奏でる音楽は子守唄代わりでした。
子供が2歳前後の大変な時期はストレスを感じやすかったのですが、バンドの活動があった事で、思い切り楽器を吹いて、仲間と色々なおしゃべりを重ねてきたのが自分を保つ機会になっていたんだなと、今になってはそう思います。
自分の好きなこと、子育て中でも音楽を楽しんだ事が、結果的に私の人生に彩り豊かな思い出となって、今も支えになっています。
今回は、アマチュアバンド活動で得たものや、子育て中も音楽を楽しんだ話をまとめてみました。
アマチュアバンド活動を通して、活動した期間そのものが私を作っていて、仲間と一緒に曲を練習し、仕上げ、披露するという活動の中でのおしゃべりが、今思い返してみるとかけがえのないものだったという事が分かりました。
子育て中も音楽を楽しんだ事は彩り豊かな思い出となり、バンドの仲間がいてくれていた事が、私の大きな支えとなっていたんだなと気付きました。
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