前回は、私が自衛隊音楽隊を受験した経験と入るのに必要な心構えとは何か、という事についてまとめてみました。
前回の記事はこちらからご覧いただけます。
吹奏楽を続けてきた私が音楽と深く向き合うきっかけとなった体験でしたが、自衛隊音楽隊を受験し、落ちた事で違う人生を歩む流れとなりました。
今回は、高校卒業後の進路を模索した話と、デザインと音楽の関係性を深めていった流れをまとめてみました。
高校卒業後の進路を模索した話
私は、高校卒業後は自衛隊音楽隊へ入隊し音楽を続けていく、という目標を持っていました。
自衛隊音楽隊の受験の際には、両親始め多くの方の協力や支援を受けて頑張りましたが、現役合格の夢が破れた結果、進路が未定のまま高校を卒業しました。
30年前の話ですが、受験に失敗して緊張の糸が切れ、燃え尽きたような感覚を持ったまま、今で言うニートとなった私は、早く次の目標を見付けなければならない、と焦る気持ちと、このままゆっくりと家にいながら過ごしていたい、という気持ちで揺れていました。
一日中、何かをしようとする気力も乏しかったのですが、唯一楽しかったのは、WOWOWで放送する洋画を観たり、音楽に関する番組を観る事でした。
楽しみを広げていこうと、当時はビデオレンタル屋さんが地元にもあったので一回に4〜5本借りたりしながら、10代後半の時期に大量に映画や音楽の情報をインプットしていきました。
働く意欲はまだありませんでしたが、両親が心配している様子が気になり始めた頃、とりあえず車の免許を取り(親にお金を出してもらい)ました。
免許を取得し活動範囲も拡がり、気持ちに余裕が出てきた私は、商業高校卒の経歴を引っさげて、近所の方に紹介してもらった運送会社の事務バイトを始めました。
とてもアットホームな会社で、社長はじめ社員の方々には優しく接していただき、人間関係では何不自由なかったし仕事にもやりがいを感じ始めたので、私はこのまま、この会社で正社員として働くようになるのかなあ、とぼんやりと考え始めていました。
広告デザインを勉強しにスクールへ通った
運送会社の事務バイトを初めてしばらく経った頃、新聞広告でデザインスクールの紹介を見ていてデザインを勉強してみたくなった私は、バイトを続けながらそのスクールへ行ってみる事にしました。
もともと、好きな感じの絵やイラストでデザインされた商品パッケージを見るとワクワクする感覚があったし、広告やチラシを見るときは内容よりデザインに目が行き、ワタシ的にはこの写真の使い方、好き・嫌い、というような見方をしていてデザインの仕事にも興味があったからです。
スクールでは、DTPの何たるかや、タイポグラフィーのスケッチ、ポスターから販促グッズまでの展開を考えてプレゼンをする、など一通りの知識を1年かけて学びました。
デザインスクールを終了し知識を身に付けた私でしたが、デザイン会社に就職する事もなく、まだ運送会社の事務バイトを続けました。
Power Macが出たのはこの頃で、好きなデザイナーがこぞって使うパソコンはAppleの製品でした。
高校時代に基礎中の基礎的なプログラミングを勉強してはいましたが、全く違う操作性の最新Power Macを親に買ってもらい(将来の投資として)Macを使ったデザインをイチからやってみよう、と自分なりに試行錯誤し、知り合いのパソコンショップの方に教えてもらったりもしながら、なんとかイラストレーターやフォトショップ、インターネットの使い方を覚えていきました。
デザインを勉強しながら音楽の知識が増えていった
デザインにハマりMacを勉強する中で、私が興味を引かれるもの、好きなジャンルはCDジャケットやミュージシャンの宣伝ポスターなど、音楽に関わるデザインだと気付きました。
私が好きなミュージシャンは、小沢健二さん、コーネリアス(小山田圭吾さん)、カヒミ・カリイさん、カジヒデキさん、東京スカパラダイスオーケストラ…といった、その頃大ブームとなっていた渋谷系と称されていた方々でした。
身近にデザインや音楽に詳しい友達がいなかった私は(広げようとしてなかっただけ)、年に数回、地元静岡から渋谷まで、好きなミュージシャンのライブや地元では買えない音楽雑誌を買いに行っていました。
ガチで音楽の話ができるのは吹奏楽部の2年後輩にあたる友達数人でしたから、お互い渋谷へ行ったら雑誌をお土産にして贈り合っていた事を思い出します。
渋谷へ時々行き刺激を受けていると、デザインと音楽の関係が密接だという気付きがありました。
好きなミュージシャンはデザインにも造詣が深かった
私が好きなミュージシャンはCDジャケットのデザインに提案をしたりと深く関わり、雑誌でのインタビューからもセルフプロデュースに長けた方々がほとんどでした。
憧れのミュージシャンはデザインにも造詣が深く、雑誌のインタビューなどからライフスタイルを通してオシャレとは何か、という事までたくさん教えてくれました。
デザイナーの信藤三雄さんの関わるCDジャケットからは1960年代風のデザインを学び、そこから得たファッションや色の選択に至る好みは今でもほとんど変わっていません。
デザインと音楽の知識を好きなミュージシャンから吸収していき、サブカルチャーの魅力に取り憑かれた私は、映画や音楽、デザインの知識も深めていきました。
その頃には、友人の結婚式の紙関係のデザインを任されるなど、段々デザイナーになるような流れがきていました。
が、運送会社を辞めて実家の仕事である工務店に就職する流れになった私は、また違った場所を歩みを始めます。
今思えばこの時も大きな人生のターニングポイントでした。
以降の話はまた次回にしますね。
今回は、私の高校卒業後の進路を模索した話と、デザインと音楽の関係性を深めていった流れを書いてみました。
中学〜高校時代に吹奏楽を経験した事で音楽とずっと関わっていきたいと思っていた私が、自衛隊音楽隊を目指して受験し、失敗した事でその後の歩みが変わった事、デザインを勉強しながら音楽との関わりを違う方向へと深めてきた流れをまとめてみました。
目指していた夢に手が届かなかった結果、進む未来は変わりましたが音楽やデザインの楽しさを再発見したことによって、違った道を一歩ずつ進んできています。
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